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シンポジウム
『いま、現代精神科医療の問題点と可能性を問う』
【講義概要】
實川 幹朗(司会)
精神科医療は、公認心理師の活動のうちでかなりの重みを占める場となるでしょう。公認心理師制度の誕生に当たっては、病院での人員確保(保険の裏付けのある)を目指す日本精神科病院協会の後押しがありました。しかしながらわが国の精神医療は、様ざまな問題を抱えています。長期入院、入院処遇そのものの多さ、不適切な投薬、投薬治療が中心なのに薬剤の効果は不確かなこと、その背後にある疾病概念・分類の未熟と混乱、採算の優先などです。こうしたなかで心理を専門とする職種にはどんな可能性があるか、どうなるべきなのか、医療の一部と心得て職域の状況に即すか、はたまた医学とは異なる原理を打ち立て行動すべきかなど、公認心理師は常に問われて行くに違いありません。このシンポジウムでは、精神科医療の現状を憂える気鋭の精神科医ご三方に、この分野の課題を語っていただきます。
杉岡 良彦
「心の苦悩は医療化されるべきか―精神医療の可能性を考える―」
「生物心理社会モデル」の提唱者の一人であるG.エンゲルは、1977年の論文の中で、精神医学が「危機にある」と述べている。その危機を乗り越える一つの手段が「生物医学」の原則に従うことであり、そこでは精神疾患が生物学的な「脳疾患」とされると指摘した。一方で、エンゲルが指摘したように、心理的、社会的観点から病気を理解する事は――もちろんそれは必要ではあるが――それぞれの分野の専門家を増やし、結果として患者数を増やすことにもなろう。また、かつて共同体や宗教者が担っていた心の癒しは、多くの場合、「医療」が担うことになった。つまり、心の苦悩の「医療化」が生じている。だが、苦悩はすべて病気なのだろうか。苦悩とは必ず避けるべき状況なのだろうか。われわれには、医学とは何か、精神医療とは何か、人間とは何かという根源的な問いが突きつけられている。当日は、皆さんと共に、今後のよりよい精神医療の在り方と可能性を考えてみたい。
徳倉 達也
「精神科薬物療法の現状と未来」
一般に精神科薬物療法の幕開けとされるクロルプロマジンの登場から70年が経過した。この間に様々な精神科治療薬が開発され、精神科医療は劇的な変化を遂げた。一方で、統合失調症やうつ病・双極性障害をはじめとする精神疾患の再発率は高く、薬物療法が奏功しない例も数多く存在し、新たな治療薬の登場に期待したいが、治験が失敗に終わって大手製薬企業が精神神経領域から撤退する事態も近年相次いでいる。その要因として、精神疾患の多くが様々な病因・病態から成る症候群であり均一な集団ではないと推測されることや、診断・評価に有力なバイオマーカーが少ないことなどが挙げられる。このような精神科薬物療法の行き詰まりと今後の可能性について検討したい。
深尾 憲二朗
「現代精神医療の背後にあるもの」
かつての精神医学は、もっぱら強制入院を要する重症精神疾患である統合失調症と躁うつ病を問題にしていたが、現代の精神医学の重点は、社会の中で不適応を示す軽症精神疾患である軽症うつ病と発達障害にある。しかし、軽症うつ病の精神医療は、患者の人格的未熟さを問題にしないという暗黙の約束事の上で、ひたすら向精神薬を無駄に消費している。また、発達障害の精神医療は、患者の不適応を患者の脳のせいにし、障害者の枠に押し込めて、患者の社会的可能性を台無しにしている。このような現代精神医療の惨状の背後には、現代社会全体に浸潤する「働けなくてもいいじゃないか」という回避的心性と、それを擁護し正当化する「包摂的差別」とでも言うべき誤った母性的意識が働いているように思われる。このような問題意識から、現代精神医療の問題を論じたい。